「自分を愛せない」という人はどうすればいいか。精神科医の泉谷閑示さんは「自分を否定してしまう人は、主体としての自分が育っていないケースが多い。自分の人生は自分自身のものであって、親や誰かのものではないことを自覚する必要がある」という――。
※本稿は、泉谷閑示『「自分が嫌い」という病』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
家族のしがらみから抜け出せるか
親子関係や家族関係のしがらみは、ともすると目に見えない形で私たちを規定したり束縛したりし続けます。それは、たとえ親元から独立したり、自分の家族を作ったりしても、自動的に解消するわけではありません。
しかし、いつまでもそんなしがらみを引きずっていては、本当の意味で自分の人生が始まりません。本書のテーマである「自分を愛すること」も、そもそも自由な「自分」になっていなければできないことです。
親子関係や家族関係は、ある意味で切っても切れないものではありますが、それを個としての自分が主体的に捉えることによって、この世俗的なしがらみから独立することができるのではないかと思います。しかし、主体になるということは、ムラ的世間で生きてきた私たちにとっては、かなり苦手なことかもしれません。
親の「期待」の正体は「欲望」
ムラ的な価値観の中では、同質性を求められる同調圧力が強いわけですが、これは同時に、上からの期待に応えなければならないというタテ社会的な圧力も併せ持っています。
そのため、ムラ的な色彩が濃厚な親子関係においては「親の期待に応えなければならない」という考えに直結してしまいます。そんな中で自分が主体的に在ろうとすればするほど、この「親からの期待」がとても窮屈で邪魔なものに思えてくることになります。
この「期待」という言葉は、一般的には良いイメージで捉えられていることが多いようですが、この言葉の綺麗なイメージに惑わされてはなりません。実のところ、その正体は「欲望」であり、相手のエゴなのです。ですから、「期待に応える」ということは誰かの「欲望」に応じることであって、通常はそれを窮屈に思ったり、主体を侵害されたとして屈辱的に感じるもののはずです。