ロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるパレスチナへの非人道的な攻撃。目まぐるしく国際情勢が変化するなか、この二つの戦争に向き合い、プーチンとネタニヤフに逮捕状を出した国際刑事裁判所(ICC)。ニュルンベルク裁判、東京裁判という二つの軍事法廷裁判にルーツをもち、国際平和秩序を守ろうと奮闘してきた裁判所だが、トランプ米大統領による制裁などによって存続の危機に瀕している。そのトップを務める赤根智子さんが、二つの戦争をはじめ国際紛争に対峙する日々、そして来し方を語る。(前後篇の前篇/後篇に続く)
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検察庁は女性を歓迎してくれた
1980年、私は大学を卒業して司法修習生になりました。最近は、司法試験に合格する見込みがある段階でさっさと進路を決めて就職に備える人が多いようですが、私のころは修習期間が2年間と、今の倍くらいあり、急いで決める必要はありませんでした。集合修習という司法研修所での教育が最初と最後にあり、その中間に裁判所、検察庁、弁護士会で一通りの実務修習を受けることになっていて、最後の集合修習中に行き先を決めれば十分だったんです。
私はもともとは弁護士志望だったわけですけれども、実際に修習を受けてわかってきたのは、弁護士事務所も結局は民間企業だということです。当時の事務所は、女性を採用したがらなかった。実際、事務員の人が「女性はちょっとね」と言っているのを耳にしたこともあります。真実かどうかはわかりませんが、修習を担当した弁護士事務所がお情けで雇うという慣習があったなどと聞いたこともありました。
私の場合、いちばん最後に検察庁での修習がありました。取り調べ修習というものを受けていたときに、「面白いな」と思ったんです。本職の検事の指導を受けながら実際の被疑者にいろいろ聞いていくと、警察の調書になかった事実が自分の質問によって見えてきたりして、手応えがあった。小さな事件ではあったけれど、そうやって真実を追究していくことにすごく興味を持ったんですね。それで、指導担当の検事に「検察官になってみたい」と思いを伝えたら、「そうか、そうか」とノリノリで。検察官の志望者が少なかったという事情もあったとは思うのですが、「女なんか」と言わない組織に出合えて嬉しかった。裁判所の刑事裁判部での修習で、検察官の役割の大きさというものを実感していたこともあって、「私も検察官になろう」と決意しました。